【考察まとめ】薬物逮捕者関連作品の扱いについて

2019年3月17日

本日の記事はアデイン初のリクエスト記事になります!

私NoWay(@NoWay95596752)のtwitterのフォロワーさんからこんなリクエストをいただきました。(リクエストありがとうございます!!!個人情報保護のため、アカウントIDは伏せておきます)

薬物で捕まると、その人が関わった作品が全て回収されてしまうのはなぜ?

という、疑問でした。確かにそこまでする必要あるか?って思いますよね?

今回はそんな薬物と作品の自主回収について考察をまとめてみました。

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海外では逮捕者の作品はどう扱われるのか

このような質問が出てきた背景にはやはり、歌手で俳優のピエール瀧さんの逮捕騒動がきっかけですね。(以下参照)

【衝撃】ピエール瀧、逮捕

そもそもこの自粛文化は、日本特有の文化ではないかという考えがあります。

と言うのも視野を広げてみると、例えばヒップホップやクラブミュージックは、ドラッグの描写が切っても切り離せないものだそうです。実際に海外には薬物の所持、使用で逮捕されるアーティストは数え切れないほど存在するそうです。では、そのような海外アーティストの作品が配信停止になった例はあるのでしょうか?

例えば2010年にコカインを使用したことで逮捕されたブルーノ・マーズ(アメリカ)。しかし、彼の作品が配信、販売が停止されることは無く、日本でもテレビ番組のBGMに頻繁に用いられています。

直近の例で言えばBlocBoy JB(アメリカ)が薬物、ハンドガン、窃盗品の所持で指名手配され、警察に自首したことで逮捕された事件がありました。しかしながら、ブルーノマーズと同様に彼の楽曲も現在もストリーミングサービスで聴くことができます。

これらの海外アーティストは皆逮捕はされていますが、楽曲の配信は停止されていません。

逆に著名人の行動、私生活によって作品の配信が停止されたケースといえば、ドキュメンタリー『Surviving R. Kelly』の公開をきっかけに性的暴行を非難する声が盛り上がったロバート・ケリーの例が挙げられます。

このような非行を許さない世間が、彼を業界から追放する運動「#MuteRKelly」を興し、所属レーベルであるRCA、および親会社のSONY MusicはレーベルカタログからR. Kellyの作品を削除し、新作のリリースも差し止めているそうです。

このことを要約すると、海外(主にアメリカ)では他者の基本的人権の侵害を楽曲で示唆し、実際にそのような行いをしたと疑われるケースの場合は断固として非難の対象になるのです。

つまり、ただ単に「法律に抵触する行為を理由に逮捕された」というだけでは音楽の回収、配信停止が行われることは海外では無いのです。

薬物の使用が法律で禁止されている理由は合理的な物からそうでない物まで様々だが、いずれにせよ薬物が基本的人権の侵害に繋がる例は少ないと言って良いでしょう。

なぜ日本では逮捕者の作品が自主回収されてしまうのか

では本題に戻りますが、日本で薬物の所持、使用を理由に逮捕されたアーティストの作品が回収、配信停止という処分を受けるのは何故なのでしょうか?

日本においてはアーティストが犯罪を犯した場合、それが被害者が存在しないケースの犯罪ものであっても、レーベルにより作品の自主回収や配信停止などの処置がとられることが増えています。

そして今回のピエール瀧さんの件も、電気グルーヴが所属するソニー・ミュージックレーベルズはCD、映像商品の出荷停止、CD、映像商品の店頭在庫回収、音源、映像のデジタル配信停止という処置を行うと発表しました。

ソニーは「ファンの皆様、関係各所の皆様にはご迷惑とご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます」というコメントを発表しています。確かに貴重な人気タレントが逮捕により、不在となってしまうのですから出演作品等に関係していた企業などには多大な迷惑をかけていることは間違いないでしょう。

ここに2つの考えがあります。ここから先はあくまで個人的な意見として聞いて欲しいです。

意見1:”イメージ商法”の芸能界ではイメージ回復が最優先

まず初めにこの処置に賛成派の意見です。

芸能界のタレントというのは、究極を言えばテレビでの視聴率を稼ぐための”広告塔”です。そして、その広告塔を操っている芸能界という業界自体は”イメージ商法”で商いを回しています。

今回のピエール瀧さんの件も、薬物使用者を出演させているという悪いイメージを、見せしめの意味を込めて作品全回収という対応で、根本から改善するとともに、「事が起きた後でも、きちんと火消しをしていますよ、然るべき対応をしていますよ。」という新たな良いイメージを世間に植え付ける商法をとるために、あえて大げさな対応をとっているのかなとも考えられます。

意見2:そこまでやる需要が世間には無い。やりすぎ。

今度は逆に否定的な意見を述べます。

よくよく考えてほしいのですが、電気グルーヴの作品を聴くことで、誰が迷惑を被るのでしょうか?「犯罪者の音源なんて聴きたくない」という世間の声が実際にあるのでしょうか?

確かに日本人の排他的性質上、そういう空気は蔓延っているのかもしれませんが、元々そういう人間は電気グルーヴの音楽を好き好んで聴いてきたリスナーではないでしょうから、無関係のはず。

それよりも電気グルーヴのファンたち、30年間その活動を見守ってきたファンたちにとっては、むしろ彼らの作品が聴けなくなることの方が、迷惑をかけることになっているのではないのでしょうか?

そしてそれはピエール瀧の復帰という点から見てもそうでしょう。確かにコカインの使用は日本ではれっきとした犯罪ですが、一度逮捕されたからといってアーティスト活動引退に追い込まれるような事態なのでしょうか?

しかし、悲しいかな不寛容さが蔓延している日本(日本人のこういうところほんと嫌い)において、一度罪を犯した人間はその負のレッテルを貼り続けられることになってしまうのです。特に、違法薬物を使用した人間に対しての報道は過剰ともいえるほどじゃあないでしょうか。

???「せやな」

まとめ

海外と日本のケースを比較して、わかるのは自己と世間、そして法のあり方の違いでしょう。

アメリカでは自己の責任において、他人の基本的人権を侵害しなければ、こうした罪を犯したとしても、今回のような判断となることは少ないです。

一方日本では一度でも法を犯した者は、無関係の第三者からも謗られ、その所属組織までクレームを浴びることになってしまうのです。いわゆる連帯責任というやつですね。法律自体がはらんでいる恣意性などは判断基準にならず、その時の法律は絶対的な正義として存在してしまう為、その中で一度罪を犯した人には世間からの圧倒的な不寛容が待ち受けているのです。本当に日本というのは人間関係がめんどくさく、生きにくい国です。

おわりに

このような社会では誰が得をしているのでしょうか?当事者でない、いわゆる第三者的立場である”世間”にいると思っている側にとっても、この措置は誰も何も得にならないのは明白です。

一度間違いを犯してしまったら、最後だからだから空気を読もう、周りの人間と同じようにしよう、変に個性を出したら頭のおかしい基地外と罵倒されて集団からハブられてしまうから、日々怯えながら作り笑いでごまかしてその場を乗り切ろう。

日本のこの論理では集団としては守られているかもしれないでしょう。

しかし、日本人は集団の下に個人が従属しているような形になってしまっているのを良しとし、その集団からはじき出されるのを最大級の悪としている文化が根付いているので、故スティーブ・ジョブズ氏のような自分の殻を破って誰もやろうとしてこなかった新しいイノベーションを生み出せる人材が現れないのです。この国民性は筆者は本当に大っ嫌いです。。

そしてその”集団”の中では、主体であるはずの自分は常に世間という存在するかもわからないぼんやりとした空気をビクビクと感じながら生きなければいけない毎日が待ち受けているのです。だから日本はこのストレスに耐えきれない自殺者が後を絶えないのでしょう。

それは果たして”自由な個人が存在している社会”でしょうか。いや、そんなことないですね。こんながんじがらめな世間だから今回のような異常ともいえる作品の自主回収という処置が施されてしまうのです。

これらのことから筆者は意見2の”やりすぎ案”を支持したいです。

確かに、法律違反は悪い事ですがいくら何でもやりすぎです。この処置によってピエール瀧さんへの賠償額が10~30億円を計上したそうですね・・・。

 

こんなの・・・社会的死刑宣告だと思いません?

是非、コメント欄にて皆さまのご意見をお聞かせください。

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